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松村宏のNEWSな顔

新築の赤坂の議員宿舎で大きな一歩

      無着地顔 松岡利勝

松村宏2007/05/28
松村 宏の

無着地顔

松岡利勝

農水大臣

無着地運動を実施して成功したそうな(5/28)。

無着地運動は本人の運動量は極めて小さいわりに、

周囲に与える影響量が大きいことで知られる。

特に松岡氏の場合、現役閣僚が

はじめて行った無着地運動になるので、

周囲から解任を求められていたのにもかかわらず、

閣僚に留め置いた

内閣総理大臣に最も責任があり、

これから大きな激震が伝わると予想される。

さらに今回、無着地運動が実施されたのは

赤坂に建てられたばかりの

議員宿舎の11階の自室だったとか。

都内の一等地でありながら格安家賃ということで

批判を浴び、ただでさえ入居者が少ない建物での

無着地運動は、ますます議員の入居を遠ざけるだろう。

あるいは、さきごろ入居した杉村太蔵くんなんかに

夜トイレに行けなくなるといった影響が出るかもしれない。

〜松村宏の「かおかぶランキング」http://www.kaokab.jp/より〜

ご意見板

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[28322] どうもよくわかりませんが
名前:山上行雲
日時:2007/06/02 17:38
野村氏によれば、日本国民は皆家族であり、従って死亡した松岡氏の「遺族」になる、とのお考えですか。かなり飛躍したお考えですね。
[28312] いえ、もちろん兄弟です。
名前:野村哲也
日時:2007/06/02 00:09
斉喜記者、実は私はどちらかというと理系の人間で、何も信じていないし、拘りも余りないんです。
信じたり否定したりするともう一歩先にある面白いことが見えなくなってしまいます。生きている楽しみがありません。


「人類は皆兄弟」は進化論上の定説だと思いますから今更信じる必要はないし、あらゆる思想信条の人々がそこに行き着くのは、種としての人類にそういう生物学的なバイアスがかかっているのだから自然現象だと捉えています。


天皇という役割の存在もその文脈の中でしか捉えていません。信じたり否定したりする対象ではないのです。もちろん、「こう在るべきだ」という進化論的(しつこいですが)な予言は持っていますが、そうなっていくだろうなと今は期待しているだけです。


松岡氏の死を徹底して糾弾すべきだと思うのは、氏の行動が私が思うところのその「生命原理」に反しているからです。
私は早く「先が見たい!」のです。
中途半端な欲望と明晰でない頭脳を持った人ほどエネルギッシュだし、類は友を呼んでいわゆる「大衆」はすぐにそういう人に引きずられていきます。


死者や亡者に引きずられず、自らを灯火として、一歩ずつ未来へ進んでいきましょうよ。
[28307] えーっ !
名前:山上行雲
日時:2007/06/01 20:55
すべからく、日本国民は天皇の赤子ってことですか、野村様。
[28283] もう一つの“死”を忘れていた
名前:本間康二
日時:2007/06/01 01:36
 本日、井筒和幸監督『パッチギ! LOVE&PEACE』を観てきました。JANJAN文化欄で批判し、「坊主憎けりゃの口」「観ないでなんの批判」と叩かれたので、同時に石原慎太郎製作「特攻映画」も観ましたよ(笑い)。こっちは思った通り、どころか歴史を歪曲し、姑息に日の丸・靖国を強調するプロパガンダに腹を立て、ゼニを損しただけで終わりました。
 それより『パッチギ! LOVE&PEACE』には、きちんと在日の実態が描かれていた。その差別に泣く在日一家に筋ジストロフィー症(ただしデュシェンヌ型)の子どもを配して、わたしはドキッときたあと、ジーンと胸が熱くなった。
「僕、死ぬの? 大人になるまで生きられないの?」
 そう問う我が子に、
「そんなことあるものか。そんなことさせるものか。生きて生きて生き抜くんだ!」
 そう言って抱き締める父親。
 この子たちのような命もあることを考えてなお、自殺が自裁などと軽はずみに言い張れますか?
「無着地運動」がそんなに品性下劣だろうか。
 死者の生前の行動、規範、その死によって巨悪が闇に葬られることを考えれば、棺桶を暴くべく批判で突ついて、揶揄で誘い出すことはジャーナリズムとしても理に叶っていると思います。借金苦の自殺や、難病で苦しんだ果ての自殺と同等とかんがえ、悼みだの、不敬だのとブレーキをかけるなど、巨悪に蓋をするのに手を貸すに等しい行為と考えます。
[28284] 世界は一家、人類は皆・・・
名前:野村哲也
日時:2007/06/01 01:36
斉喜記者のご疑問へのお答えです。


私の世代には懐かしいフレーズですが、これより以前は「八紘一宇」と簡潔に呼ばれていたようです。私はまだ生まれていなかったので良く分かりません。


私は今回、控え目に「日本国民」だけを家族と呼ばせていただきました。
[28279] 死者の名誉とジャーナリズムの品性
名前:秋吉俊邦
日時:2007/06/01 00:06
結果的には遺族の問題とはなりますが、死者の名誉は生きている人と同様に保護されるべき利益であり、生死によって差をつけるべきではないでしょう。当然、公人か私人かによって、保護される名誉の範囲は変わってくるので、閣僚であり国会議員であった「なんとか還元水」のおっさんこと松岡元農水相は、当然公人として、さまざまな批判の対象となり、茶化されたり、揶揄されたりするのは、通常受任すべきでしょう。


また、どんな原因であれ、死んだ後も同じことで、生前の行為が死によってすべて浄化されるという考え方は間違っていると思います。松岡氏が、自死によって、さまざまな疑惑がすべて浄化されたわけでもなく、また、死によってすべての責任を果たしたともいえません。反対に、明らかにすべきことをすべて隠したまま、死によって解明不能としてしまったことは、公人としての責任を放棄するものとして、厳しく糾弾されるべきものです。


しかし、死の態様、この件では縊死を「無着地運動」と茶化すことが、公人としての故松岡氏に対する批判として必要であったとは到底思えません。「なんとか還元水」をはじめとする、生前の数々の疑惑隠しの姿勢は、どんなに非難しても、どんなに揶揄しても当然ではありますし、自らの死によって疑惑の幕引きという結果になったこともまた同様です。そもそもこの記事で、縊死を「無着地運動」と茶化すことに、どれほどの必要性があったのかも大いに疑問です。


前に、表現の自由の限界の問題として意見を述べましたが、本記事は、何人かの方も指摘されているように、表現の自由以前の、品格、品性、あるいはセンスの問題であるような気がします。便所の落書きならともかく、ジャーナリズムを自称するのであれば、品のある表現を心がけて欲しいものですね。
[28277] 「もう一方の遺族は我々国民」???
名前:山上行雲
日時:2007/05/31 23:05
「遺族」=死者の後に残った家族(広辞苑)
[28275] 死人に耳無し
名前:野村哲也
日時:2007/05/31 22:31
松岡氏は好きで死んだんだから後から何と言われようと覚悟の上です。もちろん死の目的が「無着地運動」であることが遺書の内容からしても明らかだから、ここまで言うのです。


このグロテスクな記事は「無着地運動」の成功を阻むための怒りの表現として理解できます。現に翌日、元緑資源機構の山崎進一氏が運動に加わりました。もっとミソクソに批判してやれば、今後このような国民への背信行為を減らせるかも知れない。そういう深意が無くてこんな記事を書くわけがないでしょう。


死者への礼儀だの品格だの色々言われていますが、死んだ人には聞こえませんから、遺族に対する計らいの問題だと考えるべきです。遺族の中でも親族の方々は生前からこの位の経験はしておられるし、覚悟も出来ていたでしょう。全ては国民に対する背信行為への批判なのですから謹聴すべきです。遺族の方々を貶めようとする輩など、右にも左にもその他にも、一人もいないでしょう。何の正当性も生産性もないからです。


残るもう一方の遺族は我々国民です。今後も生き続けて、多大なる損害を被っていくわけですからね。1億3千万人に向かって、「こういう自殺は絶対に許さん」「あなた方は被害者だ」「最大の責任は安倍氏にある」と言っているのがこの記事でしょう?


本人はもういません。残された国民にとってどうすることが一番生産的か、「逃げ」と「誤魔化し」を許さず発言していくべき時です。
[28270] Re:ひと言言わせてもらいます!!
名前:山本恭平
日時:2007/05/31 14:15
>借金苦を含めた様々〜アホな言葉を使うのですか!?


森下泰典さんへ
違うだろ。
[28269] 本間さん
名前:岡田克敏
日時:2007/05/31 13:15
 全国紙を念頭においています。一流紙とは二流、三流よりましという意味です。政治的な姿勢の問題ではありません。このようなメディアは編集がしっかりしていて、必要もないのに不快感を与えるような記事は載せないでしょう。本間さんにとってはゴミでも私にとってはゴミではありません。他の考えがあることも認めて欲しいですね。


 松岡氏は自裁されたわけですが、これは結果的には極刑と同じです。それ以上の制裁が必要ですか? このうえ彼を追及するような姿勢で揶揄することに不愉快を感じる人がいるのは理解できます。


それが必要なことなら別ですが、仲間内で溜飲を下げるためなら公の場でなく私的な場でやればいいでしょう。あまりいい趣味とは思いませんが。揶揄は必要なこととは思えません。ここが特定の思想に基づく私的な場であれば別ですが。


 追求しようとする多くの方々は松岡氏のすべてを知っているわけではなく、報道によって問題とされた部分だけを知っているに過ぎないのではないですか。仕事上の功績がないと決まったわけでもないのに、よく調べもせず勝手に断定し、非難する軽率さこそ問題です。私も含めて、たいていの人は叩けば埃くらい出ます。


 彼の問題点を調べることは必要ですが、だからといって本人を非難しても意味がありません。謝罪の言葉がでるわけでもありませんから。日本には「罪を憎んで人を憎まず」という言葉もありますよ。
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