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2001年以前のジョージ・W・ブッシュ
多田幸矩
2004/10/29
JanJan編集部が2001年から現在までのブッシュの年表を掲載している。そこで大統領就任以前のWの年表を作ってみました。
JanJan編集部が2001年から現在までの
ブッシュの年表
を掲載している。そこで大統領就任以前のWの年表を作ってみました。
※父ブッシュとの区別のため、現大統領・ジョージ・ウォーカー・ブッシュを「W」と記載
1946年7月6日
父ブッシュと母バーバラの第一子として生まれる。
1964年夏(18歳)
父ブッシュの上院選出馬の選挙運動に参加、父は“反”公民権運動を掲げ選挙に臨み大敗、Wは同年秋、父が通ったエール大入学、遊び、いたずらが過ぎて軽犯罪法違反で逮捕。
1973年夏
名誉除隊を願い出、ハーバードビジネススクール入学、当時の同級生は彼を「(悪い意味で)有名で人を見下すような所があった」と証言、当時の担当教官であった現ニューヨーク市立大教授・霍見芳浩(つるみ・よしひろ)氏もWを「単に成績が悪いだけでなく、常識を知らないボンボン、かつ間抜けで病的な嘘つきであった。」と新聞のインタビューで答えている、またベトナム戦争支持を表明していたのと同時に自分はブッシュ家の力で徴兵を免れた事も前述の霍見氏に話していた。
1974年9月
父ブッシュは初代北京事務所(大使館の準備段階)所長に就任、Wも父に会いに北京へ行くが滞在中は事務所の敷地内から一歩も出ずテニスに興じたとの逸話あり。
1975年
ハーバードにてMBAを修め石油ビジネスを行うがぱっとせずファミリービジネスの政治を志す。
1977年7月
下院議員選への出馬を決める、その後バーベキューパーティでローラと出会う、同年11月結婚、その後選挙運動を行う、ブッシュ家の力で難なく選挙運動資金を集め、予備選で当選するが本選で対立候補に破れ石油ビジネスに転身。
1980年
父ブッシュが当時の共和党大統領候補者レーガンから副大統領候補として指名を受ける。
1981年
ローラとの間に双子が生まれる、Wは当時、過度の飲酒や仕事であまり利益が上がらずブッシュの近親者を心配させた。
1982年
Wが社長を務める会社の社名にBushを入れ株式を公開するが石油価格の下落もある資金集めは容易ではなかった。
1984年2月
Wの会社が他社と合併しCEOに就任、同年4月著名なキリスト教伝道福音者に出会いエバンジェリコ(福音伝道主義)に改宗する。※現在、キリスト教福音伝道主義者及びその教会はブッシュの熱心な支援者である。
1986年7月6日
40歳の誕生日をホテルで盛大に祝う、この日の飲みすぎを反省し翌日から禁酒を誓う(福音伝道主義の影響大)
1988年11月
父ブッシュが次期大統領に当選、Wはテキサス州知事選への出馬を考えるが断念。
1989年
経営不振に陥っていたテキサスレンジャーズの経営に参画、徐々に球団の顔として知名度が上がる。
1992年
父ブッシュ大統領再選に敗れる。
1994年
レンジャーズで得た知名度をてこにテキサス州知事選に出馬、当時支持率の高かった民主党現職を攻撃するデマまがいのテレビコマーシャルなどの戦術で知事に当選、No child left behind actの原型となる教育改革を行う。
1998年
テキサス州知事に再選
1999年2月
大統領選出馬をほのめかす、6月の正式な出馬の時点で選挙運動資金を過去最高の約40億ドル集めた、その額は当時の民主党大統領候補者アル・ゴアの2倍であった。
2000年
共和党大統領候補者予備選で対立候補のジョン・マケインを攻撃、マスメディアを巧みに利用し彼のキャリアについて偽りの情報を流布する。(この手口は今回の大統領選でも使われている、Wと直接のつながりはないとされるグループがスポンサーとなりジョン・ケリーのベトナムでのキャリアを攻撃するTVCMをスイングステート(票の行方が拮抗している州)で流し続けている。
参考サイト:
PBS(アメリカ公共放送のHP、大統領選特集)
1973年の霍見芳浩氏のコメント
関連サイト:
ブッシュの年表「ボクは世界のだいとーりょう」
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