シュプレヒコールがビル街にこだました(五反田で筆者撮影)
1988年のビルマ(ミャンマー)民主化闘争の引き金となった事件が起きた日を記念するデモが13日、東京都内であり、在日ビルマ人たちが軍事政権の打倒を訴えた。
今からちょうど20年前の1988年3月13日、ラングーン工科大学の学生と地元有力者の息子の口喧嘩に警察が介入したことから、デモに発展。学生2人が警察隊に撃たれ命を落とした。これが政府に対する民衆の不満に火をつけ、ビルマ民主化闘争のエポックである「88年8月8日暴動」へと結びつく。
発端となった事件が起きた3月13日は「ビルマ人権の日」と呼ばれ、世界各地に難民となって逃れているビルマ人25万人が、毎年ほぼこの日にデモや集会を行う。
南五反田公園には在日ビルマ人を中心に約400人が集まった。参加者たちは「ビルマ国旗」「建国の英雄アウンサン将軍」「民主化闘争で亡くなった同志」に20秒ずつ3回黙とうを捧げた。
在日ビルマ人ら400人が参加した。
ビルマ少数民族連盟日本支部長のミン・ミョウ・チさんが「(軍事政権が5月に予定している自主憲法の是非を問う)国民投票をボイコットするようビルマ国内の人々に呼びかけよう」とアピールした。
「ビルマ情報ネットワーク」によれば、憲法の基本方針は軍の支配継続を保証するもの、という。しかも国民投票に反対したり妨害すると投獄される。僧侶には投票権さえない。
国連のガンバリ特使が6日、ミャンマーを訪れ「国民投票に国際社会の選挙監視団を入れるよう」軍事政権に要請したが、拒否されている。
プラカードや民族の旗を手にした在日ビルマ人たちは、北品川のミャンマー大使館までをデモ行進した。「ミャンマー独裁軍事政権が民主主義に移行するよう、国際社会は圧力を!」などと訴えるシュプレヒコールがビル街にこだました。
ミャンマー大使館に着くと、要請文を手渡すため大使館員をインターホンで呼び出したが応答はなかった。要請文には「きょうは『人権の日』です……(中略)自主憲法と国民投票に反対します」などと書かれている。
ビルマ民衆が「シレロ(8が4つ)」の名で呼ぶ「88年8月8日暴動」は徹底的に軍事政権に抑え込まれ、翌89年にはビルマ民主化のシンボルであるスー・チーさんが軟禁された。それから20年間、軍部の圧制が続いているのである。昨年9月には燃料価格高騰に端を発した民主化要求デモが発生した。夥しい数の僧侶が殺され、拷問に遭い、行方不明になった。
建国の英雄アウンサン将軍の写真を掲げる参加者もいた。
今回と同じく五反田公園から北品川のミャンマー大使館に向かった前回(昨年10月)のデモには、大メディア各社が取材に来ていた。ほぼ半年が過ぎた13日は、筆者が見る限りでは1社もいなかった。日本のメディアは熱しやすく冷めやすい。良く言えば平和の証だろう。
人間として当たり前の権利を主張すれば虫けらのように殺されたり、投獄される軍事政権の下で、ビルマの民衆は20年間、息をひそめて暮らしてきた。ビルマ新社会民主党日本支部の責任者ウィン・アウンさんは「これからは『88年暴動』のように全国規模で蜂起してほしい」と力を込めた。
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